堅い文章

現代文の問題ならきちっとした文章を書くのはたやすいことだが、こと日記となるとどうもやや砕けた文体になりやすい。むしろ、砕けた文体でないと自分は書き続けるのが難しいと言ってもいい程度。
その理由はどこにあるのか考えてみると、何かに対して日記を書こうと思っても、その実、書こうとするその対象の意味容量が大してないという点にあるのではないだろうかという着想に最近至るようになった。さらっとした文章が楽だから この写真ワロスww とか書き込むのではなく、単に おもしろおかしい ということしか書くべき意味内容を自分の頭が生産できていないことに起因するのではないだろうかというわけだ。


と、まぁ堅い文章書くのは難しくはないんだが、他の人からみると 長文UZEE 三行でよろ となるのもネットの悲しい風習。
長文UZEEとならずに人をうまく引き付ける文章を書くのが難しいというのがさらにその根底か。