都市工学と夕凪の時代

東京は酷い都市だ。


統一感なき街並み、脆弱な社会基盤、戦略なき都市政策
なぜ、こんなにもバラバラな酷い景観になってしまっているのだろうか。
なぜ、誰もが自分勝手に建物を立て続けるような都市になってしまったんだ。


しかし、こうして考えたときにまたもう一つの事実に突き当たる。


東京大空襲。1945年、東京はそれこそ焼け野原と化した。
まっさらな焼け野原の先にそびえる富士山の情景は感慨深いものであったという。


それから数えて、50年。そう、たかだか50年。
敗戦国の焼け野原が、50年で世界にも稀に見る大都市へと復興した。
インフレ、なべ底不況、貿易摩擦、石油危機。その時々、困難とぶつかりながらも、日本は必死の復興を果たしてきた。
今見ている風景の殆ど全ては50年のうちに作られたものだ。50年あれば、何だって変えられる。


限られた予算の中で作られた首都高は、計画では上下2層構造の予定が、1層だけになってしまった。
当時策定されたJIS、日本工業規格では、コンクリートなどの品質基準を粗雑なものに設定せざるを得なかった。
そんな必死の復興の中で、景観にまで必ずしも力が回せなかったというのも、仕方が無いことかも知れない。


そうやってこの東京という街を見渡したとき、特に、ゴミゴミとした普通の風景を見渡したとき、何かを感じることができるはずだ。




東京は日本の人口増加とともに発展してきた。
しかし、2005年に日本の人口は1.3億人で頭打ちをし、いまや減少に転じている。
2050年には1億人を割ると言われている。
世界の人口は相変わらずの指数関数的増大を示しているにも関わらず、だ。


高齢化も深刻だ。
推計によると、2030年ごろに東京の高齢化率が島根県のそれを上回るとも言われている。
かつて東京は地方から流入する若年人口により活性化していたが、その流入が細ってくると、過去に流入した人口の高齢化が深刻に影響してくるのだ。


縮む世界においては、拡大を続けたそれまでの50年、あるいは100年とは別の考え方が不可欠だ。
そして、日本のとりうる道は、「豊かなる衰退」よりほかにないだろう。


木4 東京のインフラストラクチャーのノートより。