the Catcher in the Rye

J.D.Salingerの著 "the Catcher in the Rye"。3ヶ月以上かかった気がするが読み終わった。日本語旧訳のタイトルは「ライ麦畑でつかまえて」。そう、攻殻機動隊S.A.C.の影響。村上春樹の新訳版を過去に読んだことがあるおかげでそれなりにサクサク読めたかな。
「僕は目と耳を閉じ、口を噤んだ人間になろうと決意した。」の元ネタであるのだが、それに相当する英文は "I thought what I'd do was, I'd pretend I was one of those deaf-mutes." deaf-mutesというのは聾唖者、つまり聴覚と発声の不自由な人の意味。この一節だけ見ると目を閉じるという訳が一体どこから出てきたのかわからんが、段落全体を通してみると実はそういう含みを全体として持っている。意訳のすばらしさを理解。


Catcher in the Rye の話は殆どが主人公の身に起こった、やれ酷い友人が昔いただの、やれ旧友を電話で呼び出して映画に行ったの、なんていう思い出話に Damn だの bastard だの snotty, corny, phonyだのというスラング表現を多用して描かれるという、見ようによっては実に退屈な作品である。
だが、表題にも関係してる主人公の妄言の一つであるこの下り

"Anyway, I keep picturing all these little kids playing some game in this big field of rye and all. Thousands of little kids, and nobody's around - nobody big, I mean - except me. And I'm standing on the edge of some crazy cliff. What I have to do, I have to catch everybody if they start to go over the cliff - I mean if they're running and they don't look where they're going I have to com out from somewhere and catch them. That's all I'd do all day. I'd just be the catcher in the rye and all."

とかは読んでてゾクッとさせるような点がある。社会の矛盾に自分は立ち向かって行きたいという意志とでも言うか。
「欺瞞に満ちた大人たちを非難し、制度社会を揶揄する」とはよく説明した言葉だ。


今思えば、Holden Caulfieldという独善的な人間のイメージが「笑い男」の設定の根本にあったとも思える。それでもちょっとずれてるような気もするが、だからこその「だが、ならざるべきか」なのかも知らん。